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私たち医療者は患者さんから多くのことを学びます。それを消化して同じ悩みを持つ患者さんに伝えるのも、また私たちの役割だと思います。
2度目の意識消失発作が起こり入院した患者さんの話。脳波には明らかなてんかん性放電は認めず、MRIその他の検査でも異常はありませんでしたが、2度目の非誘発発作のためてんかんとして治療を開始することになりました。仕事は営業で自動車の運転は不可欠でしたが、2年間運転を控えてもらう必要がありました。
「2年間運転でないけどその間、仕事は大丈夫?」
「上司に相談してみます」
ありのまま上司の方に話して大丈夫だろうか?15年近く前のことです。不安がよぎりましたが、患者さんはあくまでもまっすぐ前向き。その後、運転できるようになるまでは、内勤に就くことになったと聞き安堵しました。
「内勤はどうですか?」
「最初は好きな営業ができなくて落ち込んでいたけど、思ったより楽しい。外勤で分からなかった会社の内情が見えて、結構面白い」
治療を開始してしばらくしての外来での会話。これなら大丈夫。きっとうまく乗り切ってくれるだろう。安堵した私はそれ以降、うかつにもその方の仕事に関心を払うことはありませんでした。
発作のない日々が続いたある日、私は患者さんの一言に面食らうことになります。
「もう運転していいよね。2年経ちましたよ」
そう、発作で運転できなくなった人が最も気にしている、“最終発作の2年後”の日付が頭に入ってなかったのです。“運転できない日々“を宣告した者として恥じらいと動揺を隠す術もありませんでした。
「そうだった。大丈夫、運転して構いません。これで晴れて外勤に戻れるね」取り繕うような私の言葉に彼は、何とも微妙な表情をするばかり。あまりしつこく聞くのも失礼だと思いその日はそのまま。しかしその沈黙がどうしても気になった私は、後日、同じ質問をしてみましたが、何か言いにくそう。
「内勤のまま? ということは・・・もしかして出世したんでしょ?中も外もわかっている人として、会社にとって貴重な存在なのでは?」
「はい」かすかに微笑みながら答えてくれました。まずいことが起こったのではない、むしろいい話だ。診察室がホワンとした空気に包まれました。
人間万事塞翁が馬
禍福はあざなえる縄のごとし
大きな自動車事故が起こり、てんかんであることが悪いことのように社会からバッシングされてから10年近くがたちました。事故を契機に外来には、運転のことで相談に来る人が一気に増えました。運転できないことを伝え、再開の目途を話し、それまでどう生活したらよいのか?深刻な相談を前に、私はこの患者さんの前向きさとその結果に支えられて来ました。
当クリニックで積極的に取り入れようと考えているモーゼスにも同じ側面があります。“病気は自分自身を深く理解するきっかけを与えてくれる。病気になったことは、自分自身を知るチャンスでもある”と
人間万事塞翁が馬。人生悪いことばかりじゃない。
これ、自分自身にも言い聞かせています。